人を責め裁くために必要なことがあります。
それは、こうあらねばならないというきまりがなければなりません。きまり、つまりルールがあるから評価できるのです。逆にルールがなければ評価ができません。例えばサッカーでは手を使ってはいけないというルールがあるから、勝負できるのです。
サッカーとラグビーが試合できないのは共通ルールでは無いからです。自分たちのルールが通用しなくなってしまうからです。
ということは、もうお分かりかと思いますが、責め裁かないようになるには、
常識、規律、道徳、法律というルールを手放していく必要があるのです
上記の決め事を持つのが良いと決めていると、必ず人も自分も常に評価していく物の見方になります。白黒、善悪、好き嫌いと常に自分の内側で分けていくのです。
同然、黒や、悪、嫌いに囲まれた人生になって、葛藤してしまい結果として行き難さを感じて煮詰まっていきます。
本当に常識が必要なのか考えてみましょう。常識を守るんだと信じていると、非常識と見える人を許せなくなります。自分の常識に照らし合わせて、ふざけたことをするなと裁いてしまうのです。
しかし、非常識は本当に悪い事でしょうか?それはただの個の表現ではないでしょうか。それがありのままでは無いでしょうか。
常識がこれと決め付けてしまうと、それ以外が非常識となってしまうのです。
また、逆に、もしこれをやったら、周りからどんな目で見られるだろうと、人目を気にして行動できなくなります。
常識とか、道徳とか、法律は人間が都合よく作った決まりごとで、宇宙大自然の法則ではないのです。
責め裁きを手放すには、常識や道徳を手放す覚悟が必要なのです。