人間が持っている価値観のうちで、多くの人が持っている集合的価値観の1つが
「よい事を選んでしていく事が、神の意思である」という勘違いです。
神の意思とは人間が頭で考えることではありません。
まず、神とは何でしょう?
自分以外の誰でもありません。自我で無い自分であり、つまり真我であり、自分自身です。
良いこととは、人間の考えた目線でしかないのです。
つまり、宇宙、大自然の法則ではありません。つまり、そうあるべきことなど1つもないのです。
人間の考える良いことが、神の目線ではないということはどういうことかを説明します。
居酒屋を経営していこうとするご主人がいました。この人は店が商売繁盛するように、一生懸命仕事をして、真面目な態度でお客様に分かっていただき毎日通っていただけるお店を目指すのが一番と考えていました。
相手の身になって考えることであるとか、相手に尽くすことであるとか、考えら得る粋を尽くして出来る限りの行動を心がけていました。
しかしそんな、態度は報われないのです。
なぜでしょうか?
それは、そこに毎日通うご主人の奥様は、それを快く思わないからです。
奥様目線では、「なぜに毎日飲み屋に入り浸っているのか」ということになります。
居酒屋目線では、毎日来て欲しいですが、奥様目線では毎日行って欲しくないのです。
このような場合に、神は一方的な価値観を良し、もう一方を悪いと判断しないのです。
人の目線のあやふやさは、この様に、じぶんの良しとする価値観を、信じて疑わないという非常に固執した限定的な見方が離れないのです。
この様な固定観念が、私は大丈夫と思っている方でも、1000も2000もあるのです。
特に、スピリチュアルをやっている方、菜食主義やマクロビ思考の方、宗教をやっている方は、こういう固定概念を数多くつけて、執着してしまっているのです。