結果よりも大切な事、特別な者にならなくていい

結果を重視する社会通念

何かをしなければいけない、ちゃんとした人にならなければならない、向上しなければならない、夢を実現しなければならないと我々人間は教わってきました。確かにその通りです。しかしこの「特別な者にならなければ」という考えだけでは、幸せになっていくのは難しく、必ずや逆の極にぶつかることになり、矛盾やストレスを抱えることになります。つまり必ず不幸を体験することになるのです。

 Exam desks
Desgiau arholiad / Exam desks

社会は、当然のように人に良い結果を求め、結果を出す人が良くて出せない人が悪いという価値観を大衆は握り締めることになりました。この価値観に沿って教育が行われ、当然のように点数という結果によって人間を計ることが当たり前に行われ、結果である学歴を就職の条件としている企業が、さもあたりまえとなっています。

この結果人間は「何か特別な者にならなければ」という価値観を握り締めることになりました。

しかしこのことは、すでに宇宙大自然の理からは外れてしまっているのです。

我々は大いなる1つの源から分かれてやってきました

日本は昔から八百万の神と言って、一神教の神とは違い、山にも神が宿り、岩にも神が宿り、森にも神が宿り、木にも、草にも、水にも、狼にも、動物にも、鉱物にもと地球上のすべてに神が宿っているという考えをもともと持っています。

もともとは神、元なる神という考え方です。素、本、元は神であるという事です。

shizen

つまり神は遍在していて、我々にも神が宿っているということです

自分自身のおおもとは神であるという事実です。
キリストは我々は神の子であると言われました。神の子は神です。神になっていくのです。

大いなる元々がそこから分かれて、神ならざる者をこの地球で経験体験して、また神に戻っていくという大いなるプロセスです。一度分離させて、体験経験させて、また大元へと統合していく壮大なる計画。

普遍意識

神が自分を制限して、神であったことを忘れさせてこの地球、人間という体験経験を味わっているというのが事実であるとしたら、自分自身を発揮させること、自分自身を表現していくことが本来の目的であるということです。つまり何か特別な者にならなくて良い。

今そのままを体験、経験するというのが、源の真の目的なのです。だからもともと特別な存在が不完全を体験したいがためにあえて人間という肉の身に魂を閉じ込めて、神であることを忘れさせているのだから、他のなにか特別な存在になろうなどと言うことは必要ないのです。

あなたはこれ以上、何か特別な者にならなくても良い

うまり、あなたはあなたであることが、源の真の目的なのです。そこから体験したい、経験したいと思っているのが真の目的です。だから特別になろうとする努力は不要なのです。

あなたは、あなたであってよい。あなたを表現してよいのです。

 

こうあらねばならない、こうすべきであるというのは、人間が都合よく考えた価値観です。
今、自分自身であるために、そのような決め付けられた、固定化された価値観からの脱却が必要なのです。

本当の幸せは、価値観を手放したその向こうにあるのです。

自由であること、オリジナルで在る事、自分らしくあることでいいのです。