今日は雪でした。
おとといまで、暖かい冬だなと思っていたら、
いきなり、真冬到来。
寒い寒い。部屋のエアコンは付けっぱなしだし、
それでもなかなか部屋が暖まらない。
外に出るのも、寒くておっくうになり、部屋から
なるべく出ないですごしている私。足先が冷たい。
街に出てみると案の定人も車もまばらです。
こういう風に書いていると、寒いといやな事が多いから
雪や寒いところはいやだな、早く暖かい穏やかな日が来て欲しい
と思いますよね。
これが、重要なのです。嫌だと思うことが重要なのです。
肉体を持っている人間は、体温が設定されているので、
適温、不適温、つまり快適、不快がすでに分離しているのです。
何のために??
それが人間をしている意味です。わざわざ肉の身を持って
温度を体験経験をしているのです。
私たちは、寒くて辛い経験があるから
暖かくて幸せになれる。
いつも暖かかったら、幸せが普通で
いつもいつも幸せならば、それは当たり前であって
在り難さなど、わからなくなるのでしょう。
幸せであることが当たり前になって、その在り難さには
気がつけない自分はいかがでしょう?
幸せを充分に味わいたかったから、辛さを作って
体験経験しようとしたのが本当ではないでしょうか?
つまり、辛い体験が、幸せを作っている。
幸せの体験が、不幸を作っている。
幸せも、不幸も同じですね。いいも悪いもない
暖かいと寒いは同価値、どちらがいいも悪いも無い。
穏やかとイライラは同価値、どちらでも良いのです。
健康と病気は同価値、なんでも良いし、どちらも良い。
すべての二極は同価値だと気付けば、悩みなど消え去ります
生きるのが良くて、死ぬのがいけないのではないのです。
生きても、死んでもよし、こだわらない、
どちらでもよいし、どうでもよい。
こう考えられれば、物事をどうしてやろうとは思わずに、
起きてくることを楽しめることになります。
夢や目的意識など持たなくても良いのです。
今目の前に起きることを、いいの悪いの価値判断つけずに、
体験経験すること。
そんな境地がニュートラルポイントであり、涅槃であり
無の境地であり、在りのままです。
悟りは、そこにあるのです。幸せはここにある。
夢や希望や目的意識の向こうにあるのではありません。