世に信用できる人は居ない、出来ない人も居ない

どうして信用できる人が良いの?

そんな質問、子供じみていると思われると思います。

信用できると判断したその思考はどこからきたのでしょう?と考えたことはありますか。
そんなこと考えたことがある人は稀かもしれません。

信用できると考えたその基準は誰が持っているのでしょうか?
それは人それぞれが独自の基準をもって、他人の態度を計ったり、比べて判断しています。
つまり、自己解釈が行われているのです。

この人を信用できるということは、そう思った人が単に自己解釈でそう思っているという事実があるのです。自己解釈ですから、その人の経験則が重要になります。

観念はただのストレスの記憶

つまり、それはただの記憶なんです。小さい頃裏切られて、悲しい思いをした人は、そのストレスにより、もう二度と同じような辛いストレスにさらされたくなという思いのブロックを作ってしまいます。

その記憶を元に、裏切るのは悪い、裏切らないのは良いんだと記憶を固定化してしまうのです。
ですから、人生で何か他の新しいストレスの出来事にであったら、その記憶から固定化してしまった観念が動き出して、瞬時にいい、悪いに分けるのです。
そして、相手の態度や言葉に自分の中の固定観念が反応してひっかかるのです。

この固定観念が無い人であれば、こころが全く反応せずに、相手の言葉にひっかからないため、信用できない人とは思えないのです。ただありのままのその人の個性を見ています。

自分の内側が生んでいる信用できる人、出来ない人

信用できる人、出来ない人は自分の外側にはいないのです。全部内側の自分の基準、固定観念があるからそこが反応してひっかかり、信用できる人、出来ない人を生んでいます。